団塊の世代 そして伝説へ…

2018年2月23日

前回の投稿のつづき。

kikirin参照元:宝島社

現場の医者が国の医療費を考えるか?

まあ考えないだろう。少なくとも私は臨床判断において考えない。目の前の患者さんに対してはベストと信じる治療を提案するだろう。国家財政に負担の多い治療だから、辞めておきましょうなんてことを言えるはずがない。お天道様に顔向けが出来ない。それに前回の投稿でも書いたように新世紀抗がん剤オブシーボにはそこそこ期待している。この新薬はどういった人に使われるのだろう?

最良の裁量とは?

オブシーボの適応病名には、1:根治切除不能な悪性黒色腫、2:切除不能な進行・再発の非小細胞肺癌とある。「切除不能」という表現に裁量権が及ぶ。医師・施設には得意分野がある。ある医師・施設では切除可能だが、ある医師・施設では切除不能という判断はあり得ない話ではない。どうする? さらには医師は切除可能と思っても患者さんが手術はイヤだといった場合は「切除不能」として適応となるのだろうか?

医師の判断の限界

医師は目の前の患者さんの病気を治すべく判断を下す。その判断には国家財政は考えない方が良いだろう。医師が国家と結託するとろくなことはない。お互い緊張感が必要だ。医師は患者さんではなく国家財政を心配しているとなると医師患者間の信頼関係が構築不能になってしまうだろう。では医療費高騰ゆえの保険適応外の判断は誰がするか? 申し訳ないが現場の医師に委ねないで欲しい。

誰がきめる?

これはもう皆さんに決めてもらうしかない。医療費のもととなる保険料も税金も結局はみんなで出し合っている。つまり医療は共助システムだ。みんなのお金だから使い方の妥当性はみんなで決めるしかない。分かりやすく極端な例を考える。余命幾ばくもない100歳のがん患者さんに年間3500万円の抗がん剤を使うことを妥当とするかどうか? 妥当とするのはなぜか? しないのはなぜか? この手の議論はなかなか観念論から抜け出せない。

医療費論議は盛り上がらない?

実際のところどれくらい問題なのか見えてこないからではないだろうか? 医療費40兆円といわれも私もピンと来ない。いまさらだが医療費高騰で大変だという気分で駄文を書き連ねているが本当に大変なんだろうか? 何兆円という話になると東京ドーム何個分だ?と想像を超えて理解不能になる。なんか実感しやすい形で見える化できないものだろうか。そのうえで、みんなで熟議をかさねて理解を深めて行くしかないだろう。

期待するのは?

やはり今の日本を築き上げた団塊の世代に期待するしかない。多数の人口をかかえ政治的にもパワーのあるこの世代がどんどんお亡くなりになる2035年頃どういう生き方、逝き方を選択しているかが鍵となる。彼らの選択が日本人の新死生観を形作ることになる。春が近づき花見の季節もすぐそこだ。桜をみながら老後の先、つまりは死に方について家族と話をして欲しいもんだ。子どもからはそんな話ふりにくいのですよ。

参考:団塊の世代は「伝説」となるか?:朝日新聞デジタル (リンク切れ)

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