たのしいプロパガンダ

2017年9月12日

たのしいプロパガンダ (イースト新書Q)

大日本帝国、欧米、東アジア、宗教組織、そして現代日本の「楽しいプロパガンダ」を具体的にみていくことで現代社会での情報の向き合い方について注意を促す本書。

そのような優れたプロパガンダは、政府や軍部の一方的な押しつけではなかった。むしろ、民衆の嗜好を知り尽くしたエンタメ産業が、政府や軍部の意向を忖度しながら、営利をあげるために作り上げていった。こうすれば、政府や軍部は仕事を効率化できるし、企業は儲かるし、民衆も楽しむことができる。

餅は餅屋ということでプロパガンダは広告代理店に頼んだほうがよい。やっかいなのは広告代理店側が時代の空気を忖度して、プロパガンダを再生産してしまうこと。時代の空気が右に左にと揺れ動くのは自然だと思うが、破滅的なほどの揺れ幅にならないためには何が必要だろうか。一つの可能性は多様性を持ったお笑いだろうか。やはりエンタメにはエンタメで対抗を。

湾岸戦争時の米国では、政府がテレビ局に対してノーカットでそのまま放送したくなるような「面白い」動画をチェックしきれないほど次々に提供することで、自前の検証や取材の機会を奪い、事実上、民間の放送を「大本営発表」に仕立て上げるということも行われていた。

この事実は示唆深い。ジョブズも新製品発表に当たってはメディアが使いやすいキャッチフレーズを準備していたという。日々の業務に忙しい記者にかわって、記事をお膳立てすることが有効な情報発信になる。記者を情報の洪水におぼれさせ、かつ見出しとなるエサを準備していることが肝要ということ。そもそも取材してもらえなかったら始まらんけど。。。

百田の『永遠の0』、荒巻の『紺碧の艦隊』シリーズ、宮崎の『風立ちぬ』を比較検討した。この三作品は、どれも戦争や軍事をテーマにし、現実と虚構を往還するところに共通点があった。・・・。「右傾エンタメ」として問題となりうるのは、この構造を利用して読者を右傾化させようとしているものだ。

「現実」と「虚構」を往還する中で、筆者の自説・思想・信条を「現実」におりこみ、読者を誘導することへ注意喚起されている。アニメの中に殺傷武器としてではなく兵器を登場させ、現実の兵器とコラボしてプロモーションする手法によって、血生臭さからくる兵器への拒否感を軽減するという手法も紹介された。良い悪いは別として、ずいぶん軍事が身近になってきているのは自衛隊の努力の成果であろう。

筆者は「政治的な意図に基づき、相手の思考や行動に(しばしば相手の意向を尊重せずして)影響を与えようとする組織的な宣伝活動」と定義し、右傾化への警戒感を喚起している。しかし本書そのものがプロパガンダの紹介を通じて右傾化する保守政治への批判のようにも見えるのは本書のおかげか。

プロパガンダはなにも政府や軍隊の専売特許ではなく、どのような組織も自覚の有無にかかわらず使用しているとみることができる。企業の活動としてとらえればステマ(ステルスマーケティング)が典型例だろう。相手の思考や行動に影響をあたえて購買行動を促す必要があるので当然だ。つまりプロパガンダの存在を批判することは無駄といえる。

プロパガンダがなくならないのであれば、リテラシーを高める教育が重要であろう。実践に勝る教育はない。自分の意図、所属する組織の意図を、広く社会にひろめるためのプロパガンダを立案して実行することが、プロパガンダから身を守る手段になる。

たのしいプロパガンダ (イースト新書Q)